―その唄を彼女は遠くで聞いている。
今日は一段と寒くなるだろう、という予報が出ていた通り、外は冷たい風が吹いていた。
幸い、今夜は依頼が全くなかったため、誰も任務はなかった。
このまま出て行ったら、風邪をひく者も出たかもしれない、と思っていたので、
安堵しつつ外を見ると、夜の帳で黒い塊と化した木々と共に、
金色の何かが靡いているのを見て、思わず目を見張った。
近づいて、よくよく見ると、それは人の髪で、誰かが外に立っているということが分かった。
「ティティス……さん?」
扉を開けて、声をかけると、びくりと肩が震えて顔がこちらに向いた。
「シャロット……」
腕越しに見れた顔は、酷く悲しそうな顔をしていて、思わず目を見張る。
「どうかされたんですか?」
心配になって歩み寄ると、彼女はごしごしと腕で顔を拭ってなんでもないわ、と笑った。
……泣いていたのだろうか、目が腫れているのは明らかで、心配だったけれど、
多分腕で拭ったのは、それは触れられたくないことなのだろうと、あえて口には出さなかった。
「ちょっとね、外を、見たくて」
「……でも、外はとても寒いですわ。風も冷たいですし……中に入りません?
あったかいココアを入れますわ」
やんわりと言った促しにも、彼女は首を振った。
「心配してくれて、ありがとう。
……だけど、ごめんね。もう少し、ここにいたいの」
そういった彼女の視線の先には、街の明かりが見える。
けれど、彼女が見ているのは、それじゃない、もっと遠くの……遠くの何かを見ているようだった。
「シャロットは、さ」
冷たい風が吹きすさぶ中、彼女を置いて中に入ることも憚られて、何もいわず側にいると、
彼女はぽつりと言葉を落とした。
「はい?」
その言葉が、消え入りそうだったので、続きを促すように頷くと、
彼女がこちらを向いた。
「ジョシュアのこと、好き?」
「え……?」
あまりに唐突な問いに、固まってしまう。
しかし、もう一度同じ問いを繰り返した。
「ジョシュアのこと、好き?」
その視線はとても……まっすぐで、冗談でもなく、茶化しでもなく、
真剣に答えを問うていることが分かった。
相手が、真剣なら、こちらも真剣に答えなければならない。
それならば、そう思って、覚悟を決めた。
「……とても、身のほど知らずだとは思っていますが……
お慕い……していますわ」
小さな、震える声で、そう応えると、彼女がふっと笑った。
「……よかった」
その言葉は、嬉しさと悲しさが、混じりあったようなもので。
……だけど、本当に、言葉どおりに思っている、そんな気持ちが込められた言葉だった。
「ジョシュアもね、シャロットのこと、好きだって」
「え……」
思わぬ返事に、頬が熱くなるのを感じる。
そんなことは、そう言おうとしたのが分かったのか、彼女は優しい顔をして言った。
「冗談なんかじゃないよ。本当のこと。
今朝問い詰めたら白状したから。
ジョシュアもね、真っ赤な顔してたよ。
よかった……両思い、だったんだね」
呟くようにそういって、彼女は前を向いた。
「……私、ジョシュアさんは、ティティスさんのことが好きだとばかり……思ってましたわ」
どう返事をしたらよいか分からなくて、でも、沈黙するにはとても重くて、
小さな本音を口にすると、彼女は困ったように笑った。
「ううん。あたし、“そう思われないように”してたから、それはないわ」
「でも、ティティスさんは……」
「……うん、そうね、ジョシュアのことは、好きよ」
そういうと、彼女は空を見上げた。風が冷たく吹きすさんでいるにも関わらず、
微塵も感じさせないかのように瞬いている星が見える。
それを見ながら、彼女は言葉を反芻する。
「ジョシュアのことは好きよ。
……だけど、違うわ。
……違うのよ」
誰かに言うためではなく、自分に向けているような呟きに、
かける言葉はみつからなかった。
「……私ね、そろそろ森に帰ろうと思うの」
どれくらい経ったのか、分からない沈黙を経て、
彼女がふいに明るい声を出した。
「え……帰るって……まさか……」
「うん、エルフの森に。
……そろそろ、潮時かなって思ってたから」
「………………!」
ショックで、言葉が出ない。
短い期間でも一緒にいた仲間だった彼女がいなくなることは、
同僚としても、また……自分が勝手に思っているとしても……友達として、
とても、とても、悲しい、ことだから。
「一週間後にね。立つわ。
……団長にももうすでに告知ずみなの。
本当は、誰にもいわないつもりだったけど……
せめて、貴方だけには」
そういうと、彼女は今まで向いていた方向に背を向けた。
「……ごめんね。随分長い間、寒い中立たせちゃってたね。
中に入ろう。もういい加減、風邪ひいちゃうだろうし」
そういうと、彼女は何事もなかったかのように歩き出した。
その背中には一瞬の迷いもなくて、
それは、もう変えられないことなのだな、と分かると、
言葉に、ならないほど、寂しくて。
胸が熱くなって、気づけば、目から一筋、涙がこぼれでていた。