クリスマスのその日に(中編)
「参ったな……」
僕は再びバルコニーの柵の側に立ち、先刻の情景を思い出していた。
『あのさ…ジョシュア…』
僕と彼女の間をひゅうっと風が吹き、彼女の金色の髪が美しく舞ったその時に、彼女は言った。
『あんまり…悩みすぎないようにね…』
それは…その言葉は一体何を意味していたのか…。
単に、悩みすぎる僕を気遣った言葉とは思えない。
彼女は見抜いていたのだろうか、
僕が抱いている、心の中に隠し持っている感情を。
そんなことはあるはずがないと内心否定しながらも
あの、言葉を発した後、一瞬振り返った彼女の瞳を思わずにはいられなかった。
深く、澄み切った深緑の瞳は、僕の心を全て見透かしているかのようで、
なんだか、ひどく恐ろしかった。
それとも、その『恐れ』は、
青から緋色に変わる、常人にはない瞳の変色と、それに伴う性格の変化を持つ
僕の『瞳』に対する畏怖の反映なのだろうか…。
こんなことを考えていると、ギイイッというドアが軋む音がして、誰かが入ってきた気配がした。
考え込んで注意が散漫していたせいか、今まで気配に気付かなかった僕は慌てて振り返る。
すると、ドアが軋む音が消えるのとほぼ同時に、聞きなれた豪快な声が聞こえて来た。
「お〜さむさむっ!!うわっ雪もひどく降ってるじゃねえか…
ジョシュア、おまえよくこんなとこで突っ立ってられるな。」
感心したような目を僕に向けて入って来たのは、
白いジャンパーを羽織り、両手に二つのカップを持ったガレスだった。
そしてそのままズカズカと僕の側に寄ってきて、すっと片方のカップを差し出す。
「ほら、おまえも飲むだろ?コーヒーだけどな。」
カップから広がるふわりと温かな湯気と豊潤な香りが、辺りの冷たい空気を揺らめかせた。
「…うん、ありがとう。」
「しっかし、クリスマスとはいえ、よく降るな、雪。
このまま降り続ければ、明日は辺り一面雪景色になるんだろうな。」
絶え間無く降り続ける雪を見つめてガレスは言う。
「そうだね。ジュランの予測によると、明日は十五センチくらい積もるらしいよ。」
「うへえっ!十五センチも積もるのか…
こりゃあ、明日はキャスに雪合戦せがまれること間違い無しだな…
あれは結構大変だぜ、最後にゃ、実戦さながらの勝負になっちまうんだからよ。」
柵に凭れつつ項垂れるガレスに、僕は思わず笑みを零した。
なんだか、そんな風景さえも平和の象徴に見えたからだ。
ガレスも同じ事を考えていたようで、俯いた姿勢から顔をあげる。
「でも、まあ…アレだな。これも平和ってことか。
去年は、黒王のことで、雪が降っても雪合戦なんて悠長なことできなかったしなぁ…。
増してや、クリスマスなんて、祝うどころでもなかった。」
ゆっくりと、思い出しながら呟くガレスに、僕も頷いた。
「うん。クリスマス自体、去年はあんまり意識してない…というか、意識できなかったしね。」
それほど緊迫した状況にあったのに、一年後、こうして、雪を観賞できるようにまでなるなんて
去年の僕たちにはまず想像できなかっただろう。
だからこそ、今、つくづくと思う。
この瞬間の『平和』と呼べる時がとても…なにものにも代え難いくらい、貴重なことだということを。
「ああ、ほんとに去年はそうだったよな。
だからっつって今年も意識してるかっていったら、特別そうでもなかったりするんだけどよ。
でも…そうか…そうだな…クリスマス…か………」
「…?どうかした?ガレス」
急に押し黙ったガレスを不審に思って訊ねてみると、
一瞬ハッと意識づく表情を浮かべたかと思うと、すぐに苦笑する顔になった。
「いや、なに、別に大したことじゃない。…クリスマスって言葉を改めて聞いたら、
ふっと、昔、まだ家族三人で暮らしてた頃のことを思い出してな…」
自嘲するように軽く笑うと、ガレスはどこか遠くを見るような目をする。
「なんていうか、あの頃はクリスマスっつったら必ず三人で祝っててな。
妻と息子がささやかなご馳走を作ってる間に、
クリスマスツリーになるような木を切りに行くのが、俺の役目だった。
ご馳走を食べた後は、家族がそれぞれのために用意した…
ま、プレゼントといえるモンでもないが、そういうものを交換しあったって訳だ。
ほんとに、今思えば、こぢんまりとしたクリスマスだったが…
それなりに幸せだったよ…。」
「…そっか…」
うっすらと笑いを浮かべたガレスには、いつもの豪快さは微塵も無く、
儚いものを懐かしみ、慈しむような哀愁があって、
僕はとても…いたたまれない気持ちになった。
詳しく聞いた事は無いけれど、ガレスの奥さんはとうの昔に亡くなったらしい。
息子も、同じく亡くなった、と言っていた。
……あの日、『黒騎士』が現れるまでは……。
小さくても、幸せだった三人の『時』を知っているガレスは、
どういう思いで、三人の『時』が壊れて行くのを見つめていたのだろう。
どういう思いで、今の、この『時』を過ごしているのだろう。
そう、考えると…胸が痛くて、堪り兼ねた僕は、ずっと見続けていたガレスから目を逸らした。
「…わりィ、ガラにもなくカビくせぇ話しちまったな。
まー、なんだ、今は戦場で大剣振りまわしてる、ただのガンコオヤジにも、
昔は人並みの平凡な生活があったってことさ。」
神妙な顔をしている僕に気付いたのか、ガレスは頭をポリポリと掻きながら、
なんでもないように苦笑した。。
「まあ…俺はあんな風だったけど…おまえはどうだったんだ?その…クリスマスは。」
不意打ちのガレスの問いに、僕は内心慌てた。
「え…?僕…?僕…は…あんまり…クリスマスは好きじゃ無かったな…」
「ほぉ、めずらしいな。
クリスマスっつったら“さんたくろーす”とかいう奴がプレゼントを持ってくるってんで
子供は子供なりに楽しみにしてるモンだと思ってたが…
俺もガキん時はそうだったし…」
「あ…ううん、楽しみにしてたのはしてたよ…すごく。
でも…願いはことごとく叶わなかったから…いつのまにか…好きじゃなくなってたんだ…」
僕の発言に驚くように、ガレスが目を見開く。
ひゅううううっと強い風の音が辺りにこだました。