仮面のうら
後ろでに窓を閉めると、途端に周りの空気が静かになった。
足音をたてて、ブライトはバルコニーの手すりまで移動すると、そのまま手すりに肘を置き、遠くの方で流れる雲の群を眺めた。
ふっともれた吐息は、風に運ばれて空の一部になる。
ブライトは首だけを動かして、ガラス越しに会場内の様子を窺った。
そこだけ切り取られたように見える小さな世界で、美しく着飾った各国の王族たちが、くるくると円を描いていた。
テンポ良く進むワルツが、脳内に響く。
始まったばかりのパーティーは、まだ続きそうだった。
憂鬱に侵食されていく心が、逃げ出したい衝動を生み出した。
それに耐えるために、ブライトは自分の両腕を強く抱き締める。
耐え切れず閉じた瞳には、黒く染まった己の記憶が、走馬灯のように次々と映し出されていく。
悲しみに暮れていた人々が、今は笑顔で僕にこう言う。
「貴方は悪くありません。悪いのは、闇の力です」
人の笑顔に、これほど恐怖したことはない。
だって僕は知っている。
闇の力は、きっかけに過ぎなかった、と。
背後から近付いてくる人の気配に、ブライトは伏せていた目を開き、腕を離した。
力を込め過ぎたせいか、つかんでいた箇所がひりひりと痛む。
「何をしているんだ、こんな所で」
聞き覚えのある声に驚いて体ごと振り返ると、やはり彼がいた。
強い光を宿した瞳が、呆れの色に変わりつつあった。
それもそのはずだ。
本来ならば主役の一人であるブライトが、ひっそりと隠れるように、テラスに佇んでいるのだから。
「少し、休憩を、ね」
煮え切らない返答にシェイドは眉をひそめたが、すぐにいつものポーカーフェイスに戻った。
そうか、とだけ呟いて、自分もテラスの縁へと移動する。
ブライトと一定の距離を保って、シェイドは手すりに背を預けた。
王子ではないスタイルは気を許しているようにも見えるが、間にある距離が二人を遠く感じさせた。
後味の悪さがあるのは、昔の記憶のせいだろう。
浴びせられた数々の言の葉は、どれもやわらかく胸に突き刺さっていた。
忘れようと思えば忘れられるのに、そうしないのは、言うべきことが分かっているから。
聞こえるか聞こえないかの小さな声で、ブライトは何かを呟いた。
音としか認識できないシェイドは、ブライトの方へと視線を向ける。
だが、その整った横顔からは、何も判断できなかった。
気のせいだったかと視線を床に戻そうとした時、
「怖いんだ」
震える声が耳と通り抜けた。
か細いのにはっきりと聞き取れる声の主を見れば、今にも飛び降りそうな顔で眼下を見下ろしている。
その不安は拭いきれないが、シェイドはブライトの様子を観察することにした。
言い出しのが本人なら、せめて最後までやるのが礼儀だろう、と。
そうしている内に、ブライトにも変化が起こる。
「人の笑顔が、どうしようもなく・・・怖い」
薄く張られた涙の膜に風が吹き付けている。
先程よりはマシになったが、それでもブライトの顔色は最悪だった。
わななく唇を動かし、消えそうになる言葉をすくい上げて、ブライトは先を続ける。
「悪くない、と言うけれど。あの時の僕は・・・・・・彼は、確かに僕だったんだ!
闇の力に支配されてなんかいないっ。あれは正真正銘、僕の一部で、本心だった」
とうとう流れ出した涙を、下から吹き上げる風が空に散らしていく。
ブライトは下唇をかみ、散らばっていく勇気をかき集める。
浅く空気を吸い込んでから、呼吸を止めた。
隣りにいるシェイドに向き直ると、彼と目があう。
自分を見失っていた時に、何度となく道を指し示してきた強い目。
怯んだ心を奮い立たせて、ずっと考えていたことを表現する。
「だから君が『甘えるな』と言ってくれて、本当に、救われた」
自分の闇に気付きながら、目を逸らし続けていた僕に言った彼の言葉は、胸に痛かった。
でも、一人じゃ割れなかった殻を破ってくれたのも、また事実。
この気持ちを、感謝と言うのかもしれない。
ブライトはそんなことを思いながら、シェイドに笑いかけた。
「ありがとう」
言うだけ言って、すぐにでもその場を去ろうとしたら、シェイドが重苦しく息を吐いた。
気になって足を止めて振り返ると、頭を抱えた彼が苦々しくブライトを見つめていた。
食いしばった奥歯の間からもれる音が、言葉に変わる。
「俺は・・・お前が思っている程いい奴じゃない」
喋りづらそうな態度と、珍しく泳いでいる瞳に、ブライトは疑問を抱いた。
きょとんとした顔で凝視するブライトに、シェイドは若干うつむいて話す。
「正直、お前が闇に捕われた時も、俺は自分の心配をしていた。母上やミルキーを、
月の国を、守れるだろうかと、そればかり考えていた」
ふっと遠くを見る目には何も映っていないが、空中のただ一点を見つめている。
過去を思い出す時に、自分はこんな表情をしていたのかと、ブライトは気付かされた。
切ないとも苦しいともとれる、複雑な顔を。
「俺は、自分の大切なものを守ろうと、必死だった。だから、お前の気持ちも考慮せず、辛い言葉を吐き捨てたと思ってる」
苦笑いのようなものを浮かべ、シェイドはブライトへと歩み寄った。
差し出された手に戸惑っている内に、次の台詞が届く。
「お前に礼を言われるような事は、何一つやっていない。俺の方こそ、すまなかった」
謝罪。
自他共に厳しいシェイドからの、謝りの言葉。
ブライトは、泣きたいような気持ちになった。
シェイドの言ったどの言葉にも、彼の本心が隠されているような気がする。
この場所に戻ってきて初めて感じた、人間の嘘偽りない気持ちに、ブライトはホッと安堵した。
おずおずと差し出した自分の手を、シェイドの手に重ねる。
やっと、言えた。
やっと、実感できた。
そして満面の笑みを浮かべたブライトが
「ただいま」
と言い、面食らったシェイドは口の端を上げて
「ああ、おかえり」
と答えるのだった。
恐れ多くも拙宅のブライトとシェイドの和解小説、「二つのつぼみ」を拝見してくださった
枯野黄泉さんから個人的に頂いた小説です。
枯野さんの視点から見た2人の和解。
私のとはまた違った2人の溝を埋める姿が、とても爽やかで読みがいがありますよね。
少しずつ、歩み寄っていく2人を応援したくなる、そんな一話だなとしみじみ思いました。
枯野さん、素敵な小説、ありがとうございましたv
この幻想的な背景はトリスの市場さんの素材を使用させていただきました。