ティー・タイム
カチャカチャン、と食器と食器が重なる時にぶつかる微かな音が、閑散としたパーティー会場にいやに大きく響く。
無機物が出す、固い無感情な音にゼフィールは僅かに眉を顰めた。
毎年恒例の新しい年を祝うパーティーには、大勢の・・・それこそ、村中のエルフが、
会場である長老の家へと赴き、並べられた食事を共にしながら
互いの今年度の健闘を祈り、励ましあうのが長年の慣わしだった。
階級差も職業柄も超えた様々なエルフ達が和気藹々と談笑する様子は
別段嫌いなことではなかったが、いろいろなエルフがひっきりなしに会話を投げかけてくるのは
正直参った。
「最近の戦況はどうかね?」とか、
「リーダーとしての任務はさぞ大変だろう」という仕事に対する質問ならなんなく答えられるのだが、
問題なのは誰彼にも会うごと会うごとに、それこそ異口同音に放たれる質問なのだ。
その難題という質問を投げかけられる度に頭痛が鳴り響くのを我慢して応対しなければならないのだから。
「少々、お疲れ気味のようですね」
ふいに声をかけられ、俯きかけていた顔を上げたそこには、
ゼフィールの部下である一人のエルフが、黄緑色の長い髪を垂らし、
濃い色のフードを被ったいつもの格好でにこにこと立っていた。
「ああ、そうだな」
否定する理由も無いので一言短く答える。
会場とされたホールはいつのまにか片付け終わったらしく、
やけに広々とした空間と、ぽつぽつと立てられたテーブルがあるだけだった。
「先刻までの、様々なエルフで溢れ返っていた時は狭苦しく感じましたのに、
全員いなくなってしまうと倍・・・いや、三倍は広くなりますね。同じ場所なのに、不思議なものです。」
「どこでも、そういうものではないのか?」
部下の言葉に簡潔に答えると、彼は微笑して、そうですねと頷いた。
「それでは、この広大な空間でティータイムというのは如何ですか。
時には一息つくのも必要ですよ」
「……そうだな。それも悪くない」
慣れない礼服と、普段接しない人との係わり合いに、少々、気を張りすぎたのかもしれない。
このまま部屋に戻っても何もする気になれないだろう、
「そう仰ると、思いまして」
彼はそういうと、さっと後ろに手を回して、次に表に手を出した時には、
白く清楚なティーポットと、カップが2人分載っている盆を手にもっていた。
「……相変わらず、準備がいいな」
「お褒めにあずかり光栄です」
そういうと、彼はポットを手に、二つのカップに琥珀色の液体を注ぎ始めた。
火を焚いているとはいえ、温かさが広い空間に行き渡ることはなく、
閑散としたパーティホールは肌寒かった。
その中で、細く湯気をくゆらせているカップにゼフィールはほっとした温かさを感じていた。
どちらも喋ることもなく、淡々とした穏やかな時間が流れていた中で、
部下である目の前の彼が口を開いた。
「それで、どうでしたか?今回は」
「……何の話だ?」
「いえ、少々、お疲れ気味のようだったので……
またティティス様のお話でも出たのかなと思いまして」
にこにこと微笑を崩さない彼の口から出る言葉は妙に容赦がない。
静寂の中溶けていった疲弊感が、また再び肩にのしかかってくる。
「……お前、わざと言っているのか?」
「はい?」
彼の心底不思議そうな態度に、もはやため息をつくしかないゼフィールは、
その苦い思いを飲み込むかのようにカップの中に残っていた液体を飲み干すと、徐に口を開いた。
「……そうだ。会う者会う者、二言目には『それで、ティティス様は?』だからな。
同じ言葉を返さなければならないこちらの気持ちも、少しは察してほしいほどだ」
「それくらい、民にとってティティス様の存在は大きい、ということなんでしょうね」
「それはそうかもしれんがな……」
さらり、と言ってのける部下の言葉は確かにそうなのだが、
ただ単純に頷くのはなんとなく癪にさわるので語尾を濁す。
「もう少し、自覚してほしいものだ」
本人はどう受け止めているのかは知らないが、仮にも長老の孫なのだ。
それは同時に、エルフ族全体を取りまとめるトップの最も有力な候補者であるということでもある。
だが、その権利を持つ者が、森を離れ、
エルフが蔑視する人間の側にいるのは状況的にあまりよろしくないのだ。
彼も意図を解したのか、深く頷いた。
「まあ、確かにティティス様が人間界に長くおられるということで、
人間に毒されるのではないか、と危険視する声もありますしね」
「……くだらんことだがな」
にべもなくいうと、おや、と部下が目をしばたたいた。
その様子が珍しいものを見るような仕草だったので、思わず訊ねる。
「……なんだ?」
「いえ、ちょっと驚いたもので」
くすり、と笑うと、彼は側にあったティーポットにお茶を注ぎながら答える。
「てっきり、ゼフィール様も、同じことを仰るんじゃないかと思ってましたので。
……意外でした」
「意外?」
「はい。以前のゼフィール様でしたら、そこで
『だから早く帰ってくるべき』と仰られていたはずですよ。
……変わられましたね」
良いとも悪いともつかない静かな言葉で返す部下の言葉に、
返す言葉が見つからず、ゼフィールはもう残り少ないカップに目を落とした。
変わったのか。
私は。
自問自答する。
自分では全く変わったつもりはなかったが、
言われてみればそうだ、以前の自分なら考える間もなく、そう答えていたはずだ。
“人間ごときの側にいつづけることこそ害毒だ”と。
低俗で、無知で、寿命も短い、なのに繁殖力だけは並外れている種族だと嫌悪していたはずなのに、
なのに、何故、だろうか。
今回、反射的に嫌悪を感じたのは、そんな人間を蔑視するエルフたちだったのだ。
「……共に、過ごしたからか」
思わず、そんな言葉が漏れて、ハッとして部下をみると、
彼は目を瞑って静かにお茶をすすっていた。
まるで、何も聞かなかったというように。
そのことにほっとして、また思考をめぐらせる。
彼らと過ごしたのは『遺跡の谷』での数ヶ月の間だ。
ティティスを連れ戻しにやってきてすぐに帰るつもりだったが、
当の本人が避けまくるので、意図に反して、彼らと過ごすことを余儀なくされた。
最初は本当にどうしようもない種族だと決め込んで、渋々付き合っていただけだったが、
日を増すごとに分かった。いや、感じられずにいられなかった。
彼らは、彼らなりに精一杯生き、この国を、守ろうとしていることを。
巨大な敵にも恐れなく立ち向かっていくその姿に、いつしか自分も全力で戦っていた。
『人間はね。あたしたちより命は短いし、それだけに知らないこともたくさんあるかもしれないわ。
だけど……短いからこそ、あたしたちより、全力で生きているんじゃないかって思うの』
いつだったか、ティティスがそういったことがある。
その時は理解できなかったが、今なら……少しだけ、分かる。
彼らもまたこの星の命なのだ。
その彼らを低俗なものと軽蔑する権利は、果たして我々にあるのだろうか。
その疑問は、今でも胸に燻っている。
「お茶のお代わりはいかがですか?」
静かな声に、ハッと現実へと引き戻される。
見ると、向かいにいたはずの部下がポットを持って横に立っていた。
ああ、頼む、と短く返事をすると、すぐに温かな音をたててカップに液体が注がれた。
気を使われた、か。
ちらりと部下の横顔をうかがうと、彼は特別何を気にした風でもなく、
ただ、いつもと変わらぬ穏やかな表情をしていた。
こちらから話しかけるにしても、先ほどのことがあってためらわれ、
黙りこくっていると、静かに部下が口を開いた。
「私には、良いか悪いか、判別することができないことですが……
ただ、ティティス様のことから、ゼフィール様までもが変わられたことを踏まえると、
……きっと、近々エルフの森が、歴史的に変わることが、あるかもしれませんね」
さらりと流した彼の言葉には、少しのからかいと、大きな本音が含まれているように感じた。
こんな壮大なことをいう部下だっただろうかと逡巡し、
そうさせたのは自分の変化と……認めたくはないのだが、あのじゃじゃ馬の影響が多分にあるのだろうと思う。
「……そうかもしれんな」
渋い顔で頷くと、部下はくすくすと笑っていった。
「ええ、きっと」
長い間閉鎖されていたエルフの森が変わる小さな兆しが、見え始めた瞬間だった。
fin
あとがき
本当はちょっとしたコミカル話にしようと思っていたんですが、なんかしっとり系に落ち着きました。
ゼフィさんの部下というのは、4でちろっと出てきた人のイメージです。
その人に、「ティティス様がお帰りにならないのは、人間に好きな方ができたかもしれませんね」
とかしれっと言わせてゼフィさんを盛大に吹かせてくれるのを期待していたのですが(を)
どうやら部下さんはやっぱり『エルフ』だったらしく、
そこまで冗談がいえるほどに人間に好意はもてなかったらしいです。(私の中で)
なんていうか、部下はゼフィさんを尊敬してるので、
ゼフィさんの変化を見て、「人間にはなにかあるかもしれない……」と思っている、
エルフの中では少しだけ人間を評価する側に回ってる、って心境なのかな、と思ってみたりします。