何故そこで立ち止まってしまったかというと、
ドアの隙間から淡い光が漏れていたからで、
何故そこでそっと覗いてしまったかというと、
警戒心とちょっとの好奇心。
そして、何故部屋に入ってしまったかというと……
それだけは、自分でも分からない。


Reason


(なんていうか、ここまでするとはね)
アイギールは感心なのか諦めなのかどっちにもつかない感情で、
ジョシュアが眠っているベッドのそばに置いた椅子に座り、
上半身を軽くベッドにうつぶせるような形で眠るティティスの顔を見る。
傍に置いてある小さなランタンが、彼女の金髪の髪を鮮やかに際立たせていた。

ジョシュアが珍しく瀕死状態で搬送されてきたのは3日前のことだったか。
話を聞くや、普段でもおしろいを塗ったように白い肌が急速に青ざめていたのを思い出す。
その後、シャロットとバルドウィンが付きっ切りで治療を施し、
あとは意識が戻るのみでひとまず安心だと伝えられたのが今日の夕方。
いつもはうるさいくらい元気なのに、青菜に塩を振ったように元気がなかった彼女が
ようやくほっとしていた表情を見て、改めて彼に対する思いが窺がえたと思ったが、
読みは甘かったようだ。まさか部屋にまで来ているなんて。
このまま、見なかったことにするということもできるけれど……と思ったが、
なんとなく……そう、本当に珍しいことだがなんとなく……気が向いて、
アイギールはその手をティティスの背中にまわしそのまま小さくゆさゆさと揺り動かした。
「…………ん……」
しかし、ティティスは小さく身じろいだものの、起きる気配はない。
アイギールはふうと小さくため息をつくと、手の動きは止めずに、
ティティスの耳元で小さく呟いた。
「そろそろ起きたら?このままだと風邪ひくわよ」


がばあ!


声の効果は覿面ということだろうか。
言葉を最後まで言い終える前に、勢いよく体が跳ね上がった。
「…………?」
「おはよう。いい夜ね」
「え……あ!……アイギール……?」
起きたはいいが、現状認知が定かでないのか寝ぼけまなこできょろきょろと辺りを見渡すティティスに、
少し声量を落とした声で、呼びかけると彼女は普段通りの高い声で驚きを表し……
しかし、今という時刻と、傍で寝ている人間のことを思い出したのか、
あとは声量を抑えた声で、こちらを向いた。
「え……ていうか……ど、どうしてここに……?」
しどろもどろになっているのは、今現在の状況が非常にマズいことに気づいたからだろう。
うろたえた姿がどうにも滑稽で、思わずくすりと笑ってしまった。
「……任務から帰る途中にここのドアからかすかに光が見えて。
 ちょっと覗いてみたら、貴方がいたから、声をかけたのよ」
「そ、そっか……」
「それで、何をしていたのかしら? 
 看病?何にしても、夜中に男子の部屋に入り込むのはあまりよろしくない事象だと思うけど」
「う」
さらりとはっぱをかけると、あからさまにティティスの肩が強張った。
ははあ、やっぱりそうか、とアイギールは理解する。
宿舎は男女別に整備されているわけではないが、
自然と、1階が男子、2階が女子の区分に分けられた形になり、
そこから、ある一定の時間……つまり、夜中には、
確固たる理由がない限り、通路を通る以外、互いの部屋に行き来してはならないという暗黙のルールがあった。
男女が混在する中で自分達を律するために自然と作られたルールなので、
別段破ったからといってこれといった処罰はないのだが、あまりよい目で見られないのは明白だ。
それを分かっていて、尚且つ破ったという事は……よほど心配だったということなのだろう。
本当にこの子は相変らず無茶ばかりする、とアイギールはふと息を吐いて、
今目の前でガマガエルのように脂汗をたらしているであろうティティスに声をかけた。
「ま、心配しなくていいわ。このことは黙っていてあげるから」
「……ご、ごめん、ありがとアイギール……」
あからさまに引きつった笑顔を見せたあと、
ジョシュアの掛け布団が少しずれていることに気づいて、彼女はそれを直した。
「……意識はまだ戻ってないの?」
「うん……まだ戻ってないみたい」
「そう」
つられてジョシュアの顔を見る。
彼の顔はいつもより血の気がひいていて、白く見えた。
「……だけど、貴方もよくやるわね」
「え?」
「バルドウィンはもう大丈夫だって言っていたじゃない。
 それなのに、夜中にこっそり様子見に来るなんて……。
 朝様子見に来ても、変わらないと思うんだけど」
「だ、だって……!」
素っ気無くそういうと、大きな声で反駁され……
そのあと、また声量の大きさに気づいて、、声をひそめる。
「様子が万が一変わったらいけないし……
 それに、夜中の内に、目が覚めたら何がなんだか分からないでしょ?
 お腹もすいちゃうかもしれないし……だから、ちょっと様子だけでも見ておきたいって思って」
「そしたら、いつのまにか傍で寝ちゃってたってこと?」
「う、うん」
「あきれた……朝まで寝てたら大事になってたわよ」
「あ、朝にはちゃんと帰るつもりだったわよ!朝日が昇る前に」
「……ってことは、朝日が昇る前まではいるつもりだったのね」
「ううっ……も、もう、そうよ!その通りよ!」
やぶへび、というのはこういうことなのだろう。
彼女は、常人以上に反応がよく、つつけば予想以上に本音をボロボロと出してくれるから面白い。
しかし、本音を出す方は面白くないのだろう。
半ばふてくされたようにいうと、そっぽを向いてしまった。
やりすぎたかしら、と密かに苦笑したが、それと同時に感心と嫉妬に似たような思いも抱く。
赤の他人のためにここまでするなんて、自分にはできないことだ。
……そう、他人と一定以上交わりを持とうとしない、自分には。

ふ、と心がかげった。
同時に、彼女を見る。
彼女はじっと動かない彼の顔を無言で、心配そうに見つめていた。
よく、そんなことができる。
彼女にとって彼は特別であるかもしれないが、
彼は同じような思いでないことは明白なのに、
それでも……彼女は彼を思って、ここにいるのだ。

「本当に、貴方はジョシュアのことが好きなのね」

……なんとなく、やるせない思いになって、言葉に出した。
唐突な言葉に、ティティスはうろたえる。
「え……いや……えっと……」
「でも、いつまで、好きでいるつもりなの?」
何故だろう。いつもなら流すか、心にとどめておく筈の言葉が、
今日は意識と裏腹に口から零れ出てくる。
「貴方がずっと好きでいるからって、彼が振り向いてくれる保証はどこにもないのよ。
 それに、もし万一好き同士になれたとしても、 
 その時間もエルフの貴方にとっては、とても短い期間に限られることになる。
 ……それでも、好きでいるの?」
他人には関わらない、と決めていた自分の許容範囲を超えた、少し込み入った問いだった。
何故そんな質問をしたのか、それは魔が差したからとしかいいようがないくらい、
自分でも不思議なものだったが、言わずにいられなかったのは確かである。
珍しい質問をされた側のティティスは最初戸惑い、眉を顰めていたが……
やがてふいと息をついたかと思うと、口を開いた。

「うん……まあ、確かに……ね。
 私がいくら好きでいたからって、ジョシュアは……
 そういう意味では、私のことなんとも思ってないのは分かってるし……
 特に種族が違って……寿命が違うってこと、考えることもあるわ。
 ゼフィールとか、他のエルフが『人間と関わるな』ってよく口すっぱくしたのも、
 今ではなんとなく理由だって分かる。
 ……だけど……理屈じゃないのよね」

ふと、ティティスが微笑んだ。
その微笑みは、今まで見たこともないほど大人びている笑みだった。

「だって、好きなんだもん。
 ジョシュアが私を好きだから、好きとかじゃなくて、私がジョシュアを好きなの。
 真面目でお人よしで、すぐ悩んじゃうけど……とっても優しいジョシュアが。
 そりゃね。確かに、私のこと好きになってくれたら嬉しいけど……
 そうじゃなくても、私はジョシュアのこと、好きよ」

そこで一旦区切るとティティスは寝ているジョシュアの瞼にかかる髪を払いのけて、愛おしそうに見た。
その瞳も、今まで見たことがないほど優しい。

「ジョシュアは、私の知らないたくさんの悩みを抱えてる。
 だけど、いつも遠慮してて、自分のことを話すのを恐れていて、 
 どこかで、誰よりも孤独なんだなって思うの。
 だから、私はジョシュアの隣にいたい。
 ジョシュアの気持ちが暗くなってる時に、笑顔になれる手伝いができたらいいなって。
 俯いてたジョシュアが笑って「ありがとう」って言ってくれる時が、一番嬉しい。
 だから、今は、ジョシュアの隣で、楽しいことは楽しいって叫んで、
 泣きたい時は思いっきり泣いていたいなって思うわ。
 それができるのは未来じゃなくて、今だから……
 だから、今は、それを大事にしていたいの。
 きっと未来にそのことで、後悔することなんて絶対ないわ」

言い切る口調はとても優しかった。優しかったがしかし、内に強さを、曲げない強さを秘めていた。

「…敵わないわね」

つと、言葉が漏れた。不思議そうなティティスの顔から顔を背けつつ、言葉を続けた。

「ほんと、敵わないわ。まったく、返事としては、理屈的に筋が通っているとは思えないし、
 根本の問題を全く無視している。
 だけど……理屈よりも遥かに強い、理由ね。なにもかも吹っ飛ばすくらい、強いわ。
 ……そういうの、嫌いじゃないわよ」

最初の否定の言葉に、曇っていたティティスの顔が、あからさまに晴れていく。
それを見て、アイギールは仮面を直して立ち上がった。
「じゃ、そろそろ邪魔者は退散するわね。
 ……貴方も、日が昇る前には、ちゃんと帰っておくのよ。
 そこまで、フォローはできないから」
素っ気無く言って、あとはそのまま歩き出す。
ドアを音もなく開けたところで、アイギール、と声がかかった。
「なに?」
「……ありがと」
笑顔と共に発された礼に、思い当たることは何一つなかったけれど、
疑問が出る前に、言葉は出ていた。
「……こちらこそ」
そのままドアを音もなく締める。今度は隙間なく注意深く。
何故、あんなことを聞いたのか、そもそも何故あの部屋に入ってしまったのか、
理由は分からない。理由は分からないけれど……

「理屈じゃ、ないのね」

たまには、そうやって、行動するのも悪くないのかもしれない。
今日は、心外にも、教えられてしまった。
その礼は、今寝ている彼が、起き上がった時に、
彼女が側についていたことを示唆することで返しましょうか。
どんな反応をするのか、楽しみね。
くすりと笑ったあと、アイギールは心持ち軽くなった足で、
また暗闇に支配された廊下を歩き出した。



fin




あとがき

今回の題名は『Reason』=理屈です。
アイギール視点なのは、何故だか彼女が浮かんだからです。これも理屈じゃないのさ(を)
好きだ嫌いだっていろいろあるし、恋と一言で言っても、人によって感覚、解釈は違うでしょう。
人を思うということは時に難しく、時に辛いものでもありますが、
でもやっぱりあったかいものだと思います。
人という文字は支え合って出来ているという言葉の通りに、思いあえたらいいなと思っています。
……そういう気持ちが伝わっていれば……いいなぁ(希望系)



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