「好きって、どういうことだろうね」
ふいに降ってきた言葉を理解するのに、ゆうに1分はかかったように思う。
「え、え、どういうことって……」
彼の視線の先には、仲むつまじく歩くカップル。
ももももしかして、ブライト様、私のことを……
暫く封印していた妄想癖があふれ出し、
いても立ってもいられなくなって思わず頭を抱える。
でも、そっと窺がった彼の様子は、ただただ静かで。
羨ましそうにするでもなく、かといって毛嫌いするでもない、
ただ、無機質に見つめる視線に、高揚しかかったレインの心はすぐに凪いだ。
「ごめんね。急な買い物に付き合ってもらっちゃって」
小奇麗に落ち着いたオープンカフェで、
抱えていた紙袋の山をどうにかして片付け、
一息ついたところでブライトが申し訳なさそうに言った。
「いえ、私もちょうど、買い物したかったから丁度よかったわ」
なんでもない風ににこりと笑うと、ブライトはありがとうと微笑んだ。
「母上のための贈り物っていうと……今でもいまいち、分からなくて。
いろいろ、一通りのものは持ってる人だから、こういう時、悩むんだよね。
でもレインのお陰だよ。ありがとう」
「い、いえいえ、私なんて……」
ブライトは時に素で歯の浮くというか、俗に言うキザな言葉をいとも簡単に、
普通にさらっという事がある。
別段それは特別な間柄でなくてもそうなので
たまに誤解しやすいのがたまにキズなのよねとレインは思った。
“私はブライト様と……もっともっと仲良くなりたいって思ってます。
今まで以上にお話できたらいいなって、そう思ってます。“
そう言ってから、早幾月。
思い立ったらいざ行動という性格と実際に行動に移した結果、
ブライトもよくレインのことを気にかけてくれるようになり、
以前以上に仲良くなったことは声を大にしていえる。
いつかファインに「レインとブライトって付き合ってたの?」と真顔で聞かれたときには、
周りからはそういう視線で見られるほどになったのか……と心躍ったものだ。
(そして実際やっだーもうー!とファインを突き飛ばして危うく怪我をさせるところだった)
確かに親しくなった、とは思う。
よくいろいろ話してくれるようになったし、話も聞いてくれるようになった。
こちらがいえば、快く買い物なり、森での散策なり一緒に行ってくれるようになった。
が、しかし、言ってしまえば、それ以上ではないのである。
レインが感じるに、ブライトの態度は以前と全く変わらない。
穏やかで、誠実で、優しい。
しかし、『甘さ』というものは欠片もなかった。
別段、それを求める間柄ではないので、不満はないのだが(いやちょっとあったりはするが)
何かが、違うような気がした。
「……レイン?」
「え、あ、はいっ!?」
声に気づいて顔をあげると、ブライトの不思議そうな顔が目に飛び込んできた。
「何か考え事?ずっと視線が固まったままだったけど」
「え、あの……その、プレゼント、カメリア王妃喜んでくれるかなぁって……」
考え事の本当の内容なんていえるわけもないので、適当に取り繕うと、
ブライトはどうやら無事に納得したようだった。
「うん、きっと喜んでくれると思う。
そういえば、写真立てとか結構古いものが多かったから。
盲点だと思う。本人にしても」
楽しそうに笑うブライトの姿に、レインの心も穏やかになった。
「ブライト様は、お母様と仲が本当にいいのね」
「ああうん、そうだね。やっぱり母親だし。
結構、気分屋でプライドが高いから、臣下には手を焼いている人が多いけど……
ちゃんと優しいところもあるよ。僕の人格形成にも、母上の影響が多大に及んでる」
「へー、例えば?」
「例えば……『王子はきちっとした身なりをして、まずレディーファースト!』とか。
もうそれはそれはきっちり叩き込まれたね……。
今じゃ、そうしようと思わなくても、反射的にできるんだよ。訓練の賜物だよね」
「わー!それはすごーい!」
「できないと『なんでできないのーっ』って怒る人だったけど、
できると『よくできたわねーっ!』ってすっごく褒める人だった。
だから、よくできるように頑張ったんだよね。単純といえば、単純だけど」
ブライトは苦笑したけれど、そこには愛情が溢れていた。
そういえば、子供の頃の話とか初めて聞くなとレインは顔を綻ばせた。
小さい頃のブライト様ってきっと可愛かったんだろうなぁ……と
夢見がちに思っただけだったのだが、どうやら口に出てしまったらしい。
「いや……それはどうかな……」
と気づけば恥ずかしそうにはにかんだブライトの声が聞こえた。
「さっきも言ったけど、ほんと正直っていうか単純っていうか……
とにかく言われたことはそうなんだって思って、
ダメっていわれたら絶対やらなかった。
まあできればそれが一番なんだろうけど……
逆にいえば、教えられたことが間違っていてもそのまま鵜呑みにしちゃってたから……
今になって恥ずかしくなることもあるよ」
「ブライト様にもそんなことがあるのね」
「……寧ろ、僕はそれだらけだよ。
一番、違ったんだなって思ったのは……そうだね『恋』について」
「……恋……?」
少し、いやな予感がした。
でも同時に、何かが分かるような予感もした。
促すように反芻すると、ブライトはさも事もなげにうんと頷いた。
「『いい、ブライト、女の子にドキドキしたり、きゅーんってしたり……
とにかく、普段と違う気持ちになったらそれは“恋”よ!
その人と結ばれる運命なの!だから絶対にその人を守るのよ?』
なんて、言われて本気でつい最近まで思ってたんだからね……
ちょっと、信じすぎにもほどがあるよね」
自嘲気味に締めくくったブライトの顔はいつもと変わらず穏やかだったが、
その言葉は、レインの心に衝撃を与えるに十分だった。
つい最近まで思ってたその人……それは……
「もしかしてファイン……」
思うより先に口に出てしまった。しまった、と思ったときにはもう言葉は相手に届いている。
ブライトは穏やかに、そう、ただ穏やかに言葉を返した。
「……うん、そうだね。
以前の僕は、ファインが好きだって言ってけど……
でもね、やっぱり違ったんだなって今にしてみれば思うよ。
……君たちに最初に出会ったとき、覚えてる?」
「え、ええ。確か第一回プリンセスパーティ……」
「うん。それで、一番最初に、僕はファインにダンスの申込で手を差し出したんだ。
だけどファインは断った。君は喜んで取ってくれたのに。
……顔には出さなかったけど、実はショックだったんだよ。
申し込んで、断られるって初めてだったから。
だから、その時の衝撃を……どうも母上のいう『恋』と勘違いしちゃって。
ずっと追いかけてたんだ。今にして思えば、ファインにもいい迷惑だったろうに、ね
どうしてそう思いこんだのか……今じゃ、後悔してるんだ」
あまりにもとつとつと、スムーズに語られる言葉に、レインは戸惑っていた。
これは自分に対して心を開いてくれてるから、語られている言葉なのだろうか。
それとも、牽制のために放たれている言葉なのだろうか。
ブライトの表情からは読み取れなくて、思わず表情が固くなっていった。
するとそれに気づいたらしいブライトは苦笑した。
「ごめん。あまり面白くない話をしちゃったね。
……そろそろ、帰ろうか。荷物も重いし。」
「……あのっ」
立ち上がって伝票を持ちかけるブライトを、レインは呼び止めた。
なに?と不思議そうに、ブライトはレインを見る。
「その……」
これを言ったら、核心に触れる気がする。
そして、十中八九、自分は傷つくと勘が告げている。
だけど、後悔をするにしても、今、聞かなければ。
レインは、意を決した。
「あの……じゃあ、今は、ブライト様は『恋』ってなんだと思いますか?」
ブライトはその質問に、幾分戸惑いを見せたが……
やがて、その瞳は、遠く、遠くを見つめているようだった。
「……『恋』って、なんなんだろうね」
ふと、言葉が漏れた。
声色は限りなく無機質で、何の感情も宿していない。
楽しさ、喜び、悲しみ、怒りその全ての感情がその文字に対してのみ、
消えたような、断絶したような、閉塞感を感じた。
「なんなんだろうね。『恋』って。
……レイン、君は、どう思うんだい?」
逆に、質問を返される。ブライトの瞳は無機質なままだ。
「私は……」
一呼吸おいて、そしてまっすぐその瞳を見つめる。
「私は、家族や、兄弟や、友達、と違ったところで、
『一番大事にしたい』と思うことだと思うわ」
私は、貴方をそう思っています、だから、気づいて、と心に念じる。
彼に、思いが通じるように。
ブライトはその答えを聞いて、黙っていたが、やがてゆっくりと口を開いた。
「そうだね。そういう考えもあるかもしれない。
多分きっとそれは正しいと思う。
……けど……僕は、よく分からない。それが、本音、かな」
そういうと、彼はいつものようににっこりと笑って、じゃあもう出ようかと今度こそ立ち上がった。
「会計、すませてくるよ。あ、今日は付き合ってもらったお礼に。僕がおごるから」
気にしないで、という言葉と共に、彼は本当にいつも通り、普段通りの歩みでレジのある店内へと消えた。
「………………」
レインはその場に何も言わず佇んだ。
普段なら、ここで涙でもでそうなものだが、しかし、何も出なかった。
本気で打ちのめされた時というのは、そうなのだろうか、と
心のどこかで冷静な自分が苦笑する。
「フラレちゃった」
心に留まっていた言葉を、短く形にする。
別に、彼から直接お前なんて好きじゃないと言われたわけではない。
だけど暗に彼は決めているのだ。心の中で、
『恋』という字を、感情を、思いを、もう持たない、と。……持てないと。
多分、きっともう自分も傷つきたくないし、誰も傷つけたくないのだろう。
何でもない表情の下に隠された後悔の渦が、見えた気がした。
彼はもう『恋』をしないかもしれない。
だから私が思っても、無駄なのかもしれない。
「だけど」
弱気な言葉を振り切るように、レインは言葉を口に出した。
「私は、ずっと貴方を好きでいるわ」
それが、好きだといいつつ彼のことを考えず、自分のことしか考えなかった結果が生んだものならば、
貴方が気づくなら、気づくまで。
気づかないなら、気づかないままで、
私は貴方を好きでいる。
レインはそう強く思うと、『恋』という字が白紙に戻った彼の背中を追うように駆け出した。
fin
and
To Be Continued……