「やあ、代わりが来るとは聞いてたけど、君だったんだね。」
国に着くなり、朗らかに出迎えたのは、この国のプリンスだった。
「……俺で悪かったな」
愛想なくつっけんどんに対応すると、彼は苦笑しただけで、特に意に返した様子も無く、
部屋はこっちだからとさっさと案内を始めた。
最初は愛想なくすると、あからさまにムッとした表情を隠さない奴だったのに、
今では全く動じることなく対応している。
これは彼が成長したのか、それとも付き合いが長くなっただけ対応が分かるようになったのか……
(ま、どっちもだろうけどな)
なんとなく面白くない気持ちを抱きつつ、シェイドは案内されるままに道を進んだ。


Pray 〜Sleeping  Jewel〜



「じゃあ、早速だけど始めようか」
部屋について席を勧めるなり、彼は軽やかにそういった。
「は?」
席に座って資料を出しかけた俺は、危うく資料をバラまきかけた。
「早速って……」
「仕事だよ。『月の国の鉱石とそれを使用した宝石の国増産機械の強化』
 これ、今は僕が担当に受け持っているんだ。
 ……聞いてなかった?」
「……それは初耳だ…」
「そっか……まあ急な引継ぎだったらしいから、仕方ないね……
 その、高所から落下したって担当の人、大丈夫だったのかい?」
「ああ、まあ、結構元気だったよ。
 涙目で俺に訴えかける元気があれば、来月からは復帰できるだろうさ」
「よかった。本当はこっちが日にちをずらせればよかったんだけど……
 ちょっと時間がなかったから、無理させたみたいですまない。
 ……じゃあ、ちょっと説明を加えつつ、順を追って話すよ。
 予定より長くなるかもしれないことは覚悟しておいてほしい」
「ああ。担当が怪我をしたのは明らかにこちら側のミスだからな。構わない。
 はじめてくれ」
そういうと、相手は分かったと言って、すぐさま仕事の話に移った。

高所から人が落ちて負傷してしまった、というニュースを聞いたのは今朝のことだった。
観測を主とする月の国では日常茶飯事でないとはいえ、
たまにあることで、そのこと自体は別段なんでもないことだった。
しかし、その人物が宝石の国と月の国との間で、重要な計画に携わっている担当だったということが
一番の相違点であり、そして一番厄介なことだった。
なぜかというと、その打ち合わせの日が、今日、しかも午前、という正に鬼気迫った状態だったからだ。
「どうしましょう……!」
と、高所から落ちて両足を折っているにも関わらず、
涙目になる元気はある人物に『俺が変わりに行く』とすぐさま気球に飛び乗ったのがつい先ほどのこと。
資料は一通り読んだが、ろくに詳細を聞いてない自分に果たして代わりが勤まるだろうかと
不安はあったが、まあ、人生なんとかなるものだ。
ブライトは初めて事業に携わる俺にも分かるように事業の説明や、案の問題点などを提起し、
お陰で、付け焼刃といっても過言でないピンチヒッターの俺でも、
なんとか内容を理解、把握し、話を進めることができた。
話がようやく一段落したところで、キンコンと機械的な響の鐘が鳴った。
あからさまに不思議そうな顔をしてしまったのだろう、
そんな俺の態度に、ブライトはああ、と微笑した。
「これから、30分の休憩に入るんだよ。
 働きづめは、健康によくないからね。
 ……話もだいぶ先が見えてきたし……。
 まだ時間もあるから、僕たちもお茶にしようか」
そういうと、彼は俺の返事も待たずにお茶を入れるために席を立った。


「……だけどやっぱりさすがシェイドだね。
 詳細は初めて聞くはずなのに、その理解の早さには恐れ入るよ。
 お陰で予定より早く着手できそうだ」
お茶を入れて戻ってきたブライトの手には、
しっかり二人分のティーカップとポット、そしてスコーンが盛り付けられた皿が
盆に載せられていた。
話もそれとなく仕事よりとはいえ、雑談に近くなる。
「まあ、大本の企画を把握してたってのが大きいだろうな。
 しかし、随分大きな企画を任されるようになったんだな。お前も」
「いや、僕はまだまだだよ
 君みたいに、国全体を取り仕切ることはまだやったことはないからね」
そういって笑う彼の顔には、以前とは違う自信が見て取れる。
お坊ちゃま然として、『王子様』の鏡そのものだった頃とは違い、
明らかに現実を見据えつつ、いかに采配するかが身についてきているように感じた。
人というのは変わろうと思えば、変われるもんだな、と妙に感慨深く思った。
「そういえば、シェイドと仕事のことでこんなに話すのってはじめてだね」
「ああ、そういえば、そうだな」
「おひさまの国のお茶会ではたまに会うけど、詳しくはしないしね」
「まあ、そんなもんだろ。そんな休日の時間まで仕事の話はしたくないしな」
にべもなくいうと、彼は何故かぷっと吹きだした。
「……なんだよ」
くすくすと笑う彼がなんとなく気に触り、トゲのついた口調でいうと、
彼はごめんごめんと謝った。
「いや、休日の時間まで仕事の話はってところ、
 なんだかシェイドの台詞らしくないなと思ってさ」
「……俺はそんなに仕事人間に見えるのか?」
「以前は“休みなんて関係ない”って働いていたじゃないか。
 エクリプス時代からの名残みたいな感じでさ。
 ……でも最近は休む時はきっちり休むようになったなぁと思って。
 やっぱりそれは、プリンセスファインの影響が大きいのかな?」
最後の最後で予想もつかない人物の名前を出されて、
俺は盛大にお茶を吹きそうになった。
「な、なんで……ファインの名前が……出てくるんだ……」
吹き出しそうになるのをなんとか堪えたはいいものの、
一気に飲み込んだせいで今度はむせる。
息も絶え絶えに反駁すると、彼はにこにこと笑っていった。
「やっぱり、そうなんだね」
「………………」
そういわれると実は反対のしようがない。
王に、そして王子に休みなんてないというのは昔からの心情だったが、
いつかそれがたたって風邪をこじらせたことがあって、
その時にファインに言われたのだ
『働く時は働いて、休む時は休む。これが一番いいんだよ。
 他の人もそうなんだから、シェイドもそうしていいの。
 国のみんなが一番困るのは、シェイドが倒れたときだよ?』
ファインの心配そうな顔と、言葉には反対のしようもなく、
それからは休む時は休むようにしている。
しかし、この事実があったことを言えば、からかわれるのは明白なので、
俺はだんまりを決め込んだ。
ブライトは更に追求するでもなく、ただ黙って微笑んだ。
「思われてるのっていいね。なんだか見ててとっても優しい気持ちになる。
 ……だから君も大事に思ってるんなら、精一杯大事にするんだよ。
 君はそういう点においてかなり不器用だから、難しいかもしれないけど」
はっきりと明言しないが、言外に滲ませた言葉で分かる。
彼は、俺たちの関係が少しずつ変わっていることに気づいているのだ。
ほんとにこいつは他人の機微に敏い。自分のことには鈍いのに。
そう思った瞬間、レインの顔が頭を過ぎった。


『友達なの。私たちは』


かつて、目の前にいるこいつとの関係を聞いた際、
しずかに微笑んだ青い彼女の顔と言葉を思い出す。
その時は彼女の言葉の重さと空気に、そうなのかと納得せざるを得なかったけれど、
こいつは、実際のところどう思っているのだろうか。
聞いてみるチャンスだと思った。
「おまえだって、思ってる人間がいるんじゃないか?そいつは大事にしてるのか?」
もしかしたら、ああといって、彼は彼女の名前をすぐに挙げるかもしれない。
そうなれば、彼女の言葉は暗に思い込みだけだということが証明される。
だいたい、あんなにあからさまに仲がよいのに思いが全く無いなんてことはありえないだろう。
……しかし、予想に反して、彼は、きょとんと心底不思議そうな顔をした。
「思ってる人間?僕が?」
「そうだ。……心当たり無いのか?」
「家族や、君たちの事は好きだし大事だけど……そういう意味で思ってるわけじゃないしね……
 いないよ。そういう人は」
彼は少し逡巡したが、すぐに断言した。

なんだ。なにかおかしい。どうして、いとも簡単にいないと、断言できるんだ?

ヒタヒタとした違和感が背後から迫ってくる。それを振り払うがごとく、俺は語気を強くした。
「お前……じゃあレインのことはどう思ってるんだ?
 お前達二人、見ればいつも一緒にいるだろ」
するとブライトはさして驚いたふうでもなく、昨日の献立を思い出したかのようにああと呟くと、
側にあったスプーンでカップの中身をかき回した。
「うん、彼女は……妹、みたいな感じかな。
 アルテッサとはまた違った意味で、大事な妹。
 もっと詳しくいうなら……妹みたいな友達……?って感じかな」
出された答えは、レインの言葉と寸分違わない答えだった。
嘘や冗談で言っているようには見えない。
目の前の彼は落ち着いていて、冷静で、何の緊張も見られない。
……つまりは、『本当にそう思っている』のだ。
「……レインはそうじゃないかもしれないぞ。
 お前のこと、本気で好きかもしれない」
これで、動揺すれば脈があるのだろうが。
最後の最後の希望は、しかし彼の一言で虚しく地に落ちた。
「それはないよ。 きっとそれは、少し年上の兄に憧れるっていう心境だと思う。
 男兄弟がいないのは彼女達だけだし、ね」
「おまえ……!!」
思わず彼の肩を掴んで瞳を見つめるが、彼の紅眼はただただ静かに凪いでいた。
瞬間、ヒタヒタと近づいていた違和感という名のベールが目の前で露にされたようだった。

……そうか、こいつは。

「……なんだい?」
分かった瞬間、彼の少し驚いた声が耳に響いた。
「……いや、なんでもない」
静かに呟くとそのまますまないといって肩を離す。
彼は別に気にしてないよといつもの笑みを浮かべ、
そして時計を見て、そろそろ仕事に戻ろうかとカップを片付け始めた。
その後姿を見て、俺は自然と苦虫を噛み潰した表情になっていた。

ヒタヒタと、途中の会話から感じていた違和感の正体。
それは
“『恋愛』という概念自体が彼の中には露ほども存在していない”、ということだった。
いや、“自分から『恋愛』というものを断絶している”と言ったほうが正しいだろう。
少なくとも、昔はファインが好きだと言っていた時期があるのだから、
最初からなかったわけではない。
彼の人生のどこかで、それは無意識的に遮断され、彼の中から消えたのだ。
だからこそ、あんなにあからさまなレインの態度すら、
彼は『憧れ』のものとしてしか見ることができなくなっている。
「こわいな」
彼が出て行き、1人になった部屋にぽつりと自分の声がもれた。
怖い以上に、やるせない。
どうして、あいつは。

そう思ったとき、かつて彼女が言った言葉が脳裏に浮かんだ。

『全部ひっくるめて、覚悟した上で、私はブライト様が好きなの。
 それはどんなことがあっても変わらないわ。絶対』

ああ、
ああ、そうか。
お前は、分かってたんだな。
こいつが自分を置いている状況も、何もかも分かった上で、
それでも好きだと、言い切ったんだな。
……すごいな。レイン、おまえは。

光る強さと同時に見えた脆さの理由が今、分かったようにシェイドには思えた。

俺には、何もできない。
それは他でも無い、二人の問題だからだ。
……だけど、願うだけなら、祈るだけならしてもいいだろう。
どうか、あの強気で、どこかしら脆さをもった彼女の思いが、報われるように。
どうか、あの天然で自分のことにはてんで鈍い俺の友人が、
ちゃんと自分を思ってくれる人物を見つめることができるように。
ただ、ただ、祈るよ。

眼を閉じて、深く頭を垂れたまま、彼が戻ってくるまで、
シェイドはそうしていた。


fin
and
To Be Continued……